〒320-0051 栃木県宇都宮市上戸祭町523-8

受付時間
10:00~20:00  水木金土開催 体験教室あり
アクセス
宇都宮環状線・日光街道添いステーキ宮徒歩3分
長岡街道添いスーパーオータニ徒歩2分
バス 「長岡街道入口」徒歩3分、(JR宇都宮駅からバス20分)
駐車場:6台あり
080-3934-5238

※「書道教室の件で」と、お伝えください。

一格上の書道教育を

宇都宮大学の学生さんにインタビューをお受けしました。その際の内容をまとめて掲載しています☆
2023年2月18日

Q お子さんに対してはどのような思いで書道を指導されていますか?

A 子供のうちから「書の古典」に触れ、「書」「書道」としての英才教育をする。”

それが啓桜書道教室の本領です⭐︎
“個性を引き出す”、や、“その子の持っているものを大切””、とはいつも伝えている事ですが、最も明瞭に言えば、「書の品格を身に付ける」ことです。そのため、書写的なものや、習字の範囲に留まる内容のものは、一つの方法として提供しています。幅広い「書の古典」に幼い頃から触れさせ、そこから書法を探る。私が書いて見せて教えることはしても、それを確実なものとして身につけていくことは自分自身(生徒自身)の経験によるものでしかありません。広い見識と豊かな感性を養ってほしい。そのために、歴史から学んでほしい。私の率直な思いであり、師匠から継承する学書法であり、日本の書のこれから、これからの日本人とその文化を考えての指導法です⭐︎そのようなことから、どの展覧会にも迎合するような、賞を取りやすいような指導の仕方はしていません。
なぜ日本の子どもたちの書道教育は、書写書道を中心に、“いわゆる綺麗”を叩き込むのか。それは、戦後の書写教育の普及と共に、多くの展覧会が書写中心のものになっているからです。展覧会の作品は、優れたものが選ばれる一方で、選ばれるように作り上げることが多くなっています。指導者も、賞を取らせたいでしょうし、生徒もまたもちろん賞は取りたいものです。しかしそれが、選ばれるためにのハウツーなってはいけないと思います。
こんな時代だからこそ、多様性を尊重し、多様な歴史と書、その書法を学ぶが良い、と言ったらわかりやすいかな。笑 いろんな人がいます。書も、色々でいいのです。それが、本当の豊かさではないでしょうか。

Q 書道教室を開こうと思ったきっかけ、子どもたちに書道を通して何を伝えたい
か。

A 「師匠が作っていたような書道教室を作りたい」という思いです。きっかけは次のQで。
柿沼翠流という人、師匠を承け継ぐという思いは、自分の書道人生の中でも中核となることで、これまでも、これからもその思いがあります。技術面、思想面、精神面、いろいろあると思うのですが、師匠も作家としての顔と、書道指導者としての顔、またその中でも子どもたちに指導する顔、大人に指導する顔を持っていたと思います。
とても楽しい、溌溂とした書道教室だったと思います。「書を書く楽しさ、喜び」「どうせやるなら一生懸命に」など、言っていたこと感じたことは挙げたらきりがありませんが、子どもながらに感じていたことを今も思い出します。今思うと、先生の教室は書道・習字をしながらも、字を書くことを学んでいたわけではないように思います。懸命に生きることや、負けない精神、強さ、本当に生きるための根源的なことを、先生は一人ひとりに伝えようとしていました。子どもには、とにかく良いも悪いもすべて褒めてくれました。しかし妥協は嫌いました。文字を、よく、人の表情や動物やものに例えてくれました。一本の線の大切さ、それを引く懸命さを褒めてくれました。字のカタチのことは教えられたことがないほどです。一生懸命に書いて、できたものを褒め、血の通った線を褒め、そのカタチを褒め、喜んで、笑って、作品には朱でマルをつけ、コメントを残し、とにかく一生懸命に生きることを伝えていたように思います。
昭和の三筆と呼ばれた手島右卿先生に師事して書を学んだ方で、本格的な現代書を生涯にわたって追及していった人でもありました。
私もそうありたいと思いますし、なぜ先生がそのような教室を作るに至ったのか、先生にとってはごく自然なことだったと思いますが、それも探りたいですし自分なりに考え感じて、自分なりの教室を構築したいと思っています。私が伝えたいことも、上記のようなことかなと思います。とかくファストな世の中です。いかに字をきれいに書いていかに賞に結び付けるかが、教室にも求められる時代です。真逆の教室があっても良いじゃないかと、時代に反してそのような思いがあり、啓桜書道教室の根幹だと思っています。
「けいおう」は、私のイニシャルからあてて作った名前ですが、「桜」という字の由来を、私が幼いころに師匠が教えてくれました。旧字は「櫻」ですが、貝2つの部分は、ブレスレットのようなアクセサリの意味があります。貝を繋ぐという意味で、多く集まるという意味があります。「女」は性別ではなく「子ども」を意味していて、「子どもが集まる木」が「櫻」字の意味で、日本語では「さくら」を意味しています。なるほど桜には人も子どもも集まるよなぁと思ったのを思い出して、桜の字を使ってみました。近くに桜の大木がひとつあったことと、昭和中期までは宇都宮の日光街道には桜並木があったそうですよね。それもあてて、子どもが集まる桜の木のような教室になったら良いなと思いました。「啓」には、「ひらく」 という意味があります。

 

Q 今現在のお仕事の比率(個人活動と教室のバランス)を教えてください。

A 半々でしょうか。大学を卒業してから教職にいましたが、20代の後半から、書道活動よりもどうしても仕事(教職)の率が多くなり、自分の時間(自分が書を学ぶ時間)を取りたいと思って教室を始めたこともあります。今は、柿沼先生は亡くなってしまいましたが、同じ手島門下の先生のところへ、月2回学びに行っています。その稽古のために半紙練習をこなしたり作品を書いたり、半々くらいかなと思います。自分がやりたかったことをできているとは思います。

Q ホームページを拝見し、気になった内容なのですが「つなごう100のプロジェクト」とはいったいどのような活動なのか参加するに至った経緯をお伺いしたいです。

A このプロジェクトは、「つなごう100の心プロジェクト」内容は医療義援金の募金活動です。コロナ禍になってすぐ、医療機関のひっ迫が報道されるようになりました。そして政府から10万円の特別給付金がありました。10万円を使って、作品を作り、募金協力者を募ってお金を集め、その協力者に作品をお渡しするというプロジェクトでした。3,000円で1作買ってもらって、100人から募金をいただき、30万円寄付したという形です。給付金の10万円を使えば制作費になるかなと思ったのですが送料もこちらでもったので100作品の制作には10万円以上かかりました。(笑)

Q 映画タイトルのお仕事も気になりました。どのような経緯でそのようなお話がくるのでしょうか。

A 2013年にカンヌ国際映画祭に出品した映画のタイトルを書かせていただきました。この監督は当時私のアメブロをみて直接ご連絡をくださいまして、それがご縁でそれ以降に何度か依頼をいただき書いています。

Q思いれのある作品とそのエピソードをお伺いしたいです。

A 超大作の「心」と、私の教室にある「心」です。心にこだわっていることもないですが、多いですね、(笑) 師匠が褒めてくれた作品です。師匠はそれほど大人の作品を真から褒めることはなかったです。エピソードはないこともないですが、何から話せばいいのか分からないので、時間がありましたら私の過去のブログをみてくださると何かあるかもしれません。昔はまじめに書道のことを書いています。(笑)今は教室経営の関係からもさらけ出した明るさで書いています、たまにまじめに(笑)

Q小野﨑さんが大事にしている言葉や格言、モットーなどあれば教えてください。
 

A あまり、これと言ってないのですが、数年前から、「演じる」ということばが好きです。これは、この前の時もお話したかったのですが、何か目の前にあることを一生懸命にやってみるということはお話したかもしれません。例えば、私は米農家生まれでもあるのですが、米農家を自分がどう思うかは別として、一生懸命そのことを演じていたら、それが人生になるように思うのです。例えば私は男性であり、日本人であることは、誰もが認める真実ですが、それは自分がそのことを認識し、その認識の中には外部や他者からの影響が多分にあり、それに基づきそれを演じる中でやっとそのことが確実性をもってそこにある、とも言えます。性別や出自などは100パーセント真実のようですが、その真実を支えるための努力や行動があって初めて真実を保つことができるとしたら、100パーセントの真実はこの世にないのかもしれません。「演じる」という言葉は、日本語ですと、虚偽や虚構と思われがちです。ですが、英語で考えればplayですから、遊ぶということにも近いかもしれません。ただ遊ぶではなくそのことに探求心、研究心をもって懸命に遊んで、演じてみることは、人生を作ると思います。若いころは自分の境遇や生まれなど、たぶん誰もが悩みますし、考えます。そのことがアイデンティティの確立にもなります。目の前にある境遇や、自分がやりたいことなど、それを、好き、嫌い、イエス、ノーの二択で考えがちですが、妥協ではなく受け入れて演じてみることも、大切なことなのかもしれないと思うのです。演じてみて見えてくる世界というのもあるかなと思うし、ずっとそれをやり続けていたら、いつかそれが真実にもなるかな、と思います。昔の人は、選択の余地がない人生を送った方がほとんどだったと思います。身分、出自、性別、出生から結婚、人生を終えるまで、自分がまともに選べるものなど現代と比べれば本当に少なかったはずです。単純に、土を耕すか生き物を狩らなければ生きていけませんし、食べさせられません。ものを作った人はそれを生業としてずっとそれをやったでしょう。結婚も一度見送れば子孫や後継者には恵まれない可能性があるわけです。誰もが持ち場を離れずにそれを受け入れ、昔の人々はそういう人生をどう思ったかなと、思いを馳せます。政治や戦争で悲惨な人生を歩んだ人も多かったと思いますが、それでもある意味で自分の境遇、人生を受け入れて、幸せに過ごした人々の数は、現代に劣らないと思います。資本主義は自由をもたらし人生に余暇を生み、日々選択することをもたらしました。でも、現代の情報社会ではあまりに選択肢が広すぎるということもまた問題だと思います。自分の人生を演じるにも何をどう演じたらいいのかということにもなりかねず、ネットをさぐっても、あれもこれもそれらしいものがたくさんあります。選択が広ければ広いほどノーが先行しがちになるのが人間の脳かなと思います。選択が広すぎると防御反応が働き、意外にも狭ければそれを受け入れていくのが人間です。しかし選択が狭いことは現代人の欲の部分を満たしません。選択の自由が第一にある現代社会は、選択を自ら狭めて(決めて)受け入れていくことはとても難しいことです。かぎりある時間をいかに使うか、答えは読書にあるかなと思います。またはそれだけ影響を受けられる人物に出会うか、その両方かと思います。読書は方向性が決められていますから、情報を狭めてより深く探ることができます。そこから得たものを、自分で咀嚼しながら演じていく人生は、良いものになるのではないかなと思います。舞台に立って、その役になるように演じることを重ねていたら、いつかそれが真実になり、自分になり、そんな自分も好きになれるのではないかな、などと思っています。

Q行きつけのお店、ぜひ紹介したい栃木県内で活躍する方がいらっしゃいましたら教えていただきたいです。

A オリオン通りの焼き鳥のお店「かんちゃん」です。店主の神田君は、小学校からの同級生で、一緒に遊ぶことはお互いありませんが、親友です。いいお店、人気のある、人柄のでる、美味しいお店です。

Q もし書道に出会っていなかったらどのような人生になっていたと想像しますか。

A 子どもの頃の夢が、画家になりたい でした。ので、絵を描いていたかもしれません。売れない画家です。いつも目の前の人を描いて、渡しては、怒られて。子どもの夢なので生活のことなど考えていませんから、画家になって人に何を思われても世界を自由に描きたいと思っていました。そのうち、漫画家になりたいと思うようになっていました。いかにも夢を描けそうだから。ですが、いま書道をやっています。とりあえず今の舞台は書道にあるようです。そのうちまた、子どもの頃の考えに戻るかもしれませんし、このままかもしれません。もし書道に出会っていなかったら、だいぶ違っていたと思いますが、ある意味で根本のところは何も変わらないのかもしれません。

 

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書道研究啓桜会

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(受付時間 10:00~20:00)
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